ヒストリー

HEADWAY GUITARS 設立
1970年代前半は、1960年代後半に大ブームとなったグループサウンズ衰退とともに、エレキギターブームも終焉を迎えて停滞期が続いた時期でしたが、「吉田拓郎」「かぐや姫」をはじめ多くのフォーク歌手・グループの人気の影響で、フォークギター(スチール弦を張るアコースティックギター)が飛ぶように売れ始め、1970年代中ごろは日本のギター業界に活気が戻ってきた時期でした。この頃は設計・製作方法もまだ確立されてなく、今からするとおかしな設計をしているギターも見受けられましたが、ギターの情報・知識が少ないため、手ごろな価格のフォークギターであれば何でも売れてしまうようなアコースティックギター製作の黎明期でした。

そんな中、ギター作りに没頭する百瀬恭夫と、現株式会社ディバイザー代表取締役会長の八塚恵は出会います。八塚は当時の百瀬を振り返って「ギター作りに懸ける気持ち、情熱が他の職人と比べても遥かに強かった。丁寧で心のこもった作業にも卓越したものがあった。」と語っています。それから数ヶ月に亘り、八塚は百瀬に「一緒に工場を作ろう。日本で最高品質のギターを作ろう。」と真撃な説得が続くことになります。

八塚が良い物を目指し、自ら工場を立ち上げを考えたのには、当時のギター業界の時代背景がありました。八塚は当時、クロス楽器でギターの卸販売をしていましたが、当時の委託生産品の品質には限界を感じていました。なぜなら当時はそれなりの物を作っていれば売れてしまう時代だった為、八塚の製品に対する要求は委託先にとって厳し過ぎるものとなってしまい、徹底した品質追求が出来なかったのです。そこで「自社工場を立ち上げ、そこで納得のいくギターをとことん追求しよう」と決意し、そのための優秀なスタッフとして百瀬が目に止まったのです。

百瀬自身も「良いものを作ろう。」と言う八塚の情熱に共鳴し、ついに工場を立ち上げに乗り出すことになります。二人が数人のスタッフと信州・松本にヘッドウェイ工場を立ち上げたのは1977年4月のことでした。

HD-115の誕生・工場火災
ヘッドウェイ工場を立ち上げた二人が最初に取り組んだことは、当時の最高峰のギターでもあったMARTIN社のHD-28モデルの分解です。本物を作るためには、数十年の歳月をかけて本場のギタービルダーの先輩たちが積み重ねた理論や技術をしっかりと消化し、その上で、単なる物まねだけで終わらない独自の設計を目指すことが何よりも重要だと考えた為でした。その様にスタートしたヘッドウェイでしたが、全てが順調に進んだ訳ではありません。納得のいく品質を求めたので最初のギターが出来るまでには多くの時間を要し、その間全くの収入の無い時期がありました。しかし、代表器HD-115が生み出され、その後の5年間は国産アコースティックギターの最高峰として数々の銘器を世に送り出し、多くの方々に支持を受けました。しかし国産アコースティック最高峰という形容が定着して来たかに思われた矢先、アコースティックギターを断念せざるを得ない事故が起こりました。
1983年、2度の火災に見舞われ、工場の大半を消失、ギター作りの要ともいえる治具、製作機、そして製作を待っていた多くの材料を失ってしまったのです。

その工場火災を機にヘッドウェイ工場は、エレクトリックギターの製作工場に生まれ変りました。材料の乾燥技術が今ほど発達していない当時は、機械や材料を消失してしまった工場再建するには、当時ジャパン・メタル全盛期でエレキギターの需要が多く、エレクトリックギター生産の方がいち早く 道に乗るとの判断からでした。それからヘッドウェイ工場では、1980年代中期以降はRiverhead、1990年代中期以降はBacchusというエレクトリックギターの生産に専念することになります。そこでもアコースティックギター製作で培った技術を活かした、高精度なエレクトリックギター、ベースは現在の地盤になっています。自社ブランドのみならず、国内外のハイエンドブランドのOEM(委託製造)も引き受け、高い製作技術に更に磨きを掛けていきました。ボルトオン、セットネック、そしてスルーネックのエレキギター。ベースでは5弦、6弦から10弦ベースまで。またこの間にトラスロッドの独自の仕込み方を開発するなど、技術革新は多岐にわたりました。アコースティックギター製造で培った、素材の特性を活かしながら生鳴りを引き出す技術に、エレクトリックギター、ベース製作による幅広い技術、柔軟性が加わって行ったのです。

HEADWAY GUITARS 復活~現在
この様に、確実に技術を蓄積して行ったヘッドウェイ工場は、みるみる内にその勢いを取り戻して行ったのです。その隆盛に合わせて次第に高まって行ったのがヘッドウェイ・アコースティック復活を望む、熱心なヘッドウェイファンの多くの声でした。ヘッドウェイ工場は1999年にあるユーザーからの便りをきっかけにアコースティックギターの製作を再開しました。これはIT時代の産物というべきでしょうか。90年代後半からHEADWAYについて情報交換をしているWEBサイトの管理人氏はその後のHEADWAYについて情報がないままサイト運営していましたが、ふとBacchusとHEADWAYの関係に思い当たり、まさかと思いながらご連絡をくださいました。サイト管理人氏のお話ではたくさんの方たちが深い思いとともにHEADWAYを大切に使い続け下さっていて、その多くの方たちが「当時のスタッフが残っているならまたHEADWAYを作って欲しい」と願っていることもおしえてくれました。

八塚と百瀬に20年前の情熱がよみがえった瞬間でした。

「また最高のアコースティックギターを作り始めよう。」

エレキギター製作に完全にシフトしている工場内で、平行してアコースティックギター生産ラインを確立することの困難さを二人とも十分に承知していましたが思いは一緒でした。設計図面作成だけでなく、ボディやネック用の治具の製作を百瀬自ら手がけ、1999年末に再生産されたHD-115はより完成度を高めたギターとして復活しました。この復刻版HD-115に使用された木材は、16年前に奇跡的に火災を免れ、20数年間大切に保管されていたものでした。その素材を使用した限定数128本は瞬く間に復活を待ち望んでいたファンの手に渡りました。これをきっかけに国産最高峰ヘッドウェイの歴史は再び動き始める事になるのです。